第89話    「釣とスランプ」   平成17年12月18日  

釣を始めるのは簡単である。
誰でもが魚を釣る事はそんなに難しいことではない。釣をやっている内に、何をメインに釣るかが、人それぞれに好みがあり大抵の人は釣る魚の的を絞ってくるものである。だが、何を釣るか、魚を限定してからが大変で、やればやるほどに難しくなって来るのも釣である。終生終わりがないと思われるほどに奥が深いのも釣である。そして釣を極めれば極めるほどに、釣の奥の深さを感じてくる。そしてスランプがやって来る。

スランプは長い人もいれば、短い人もおり人それぞれである。大抵の人は思わず余りの釣れなさにHGを離れ、新しい釣り場を探したくなるのである。そんな時は不思議なもので、なぜかドンドン深みにはまって行く事が多い。一回、二回のボーズなどは当たり前で、長いときには1ヶ月、二ヶ月に渡り一匹の釣果がない事もたたある。

その間竿を新しく買ってみたり、仕掛けをこまめに研究して見たり、撒き餌の配合を換えてみたり、釣行の時間を早めたり、遅くしたり自分に出来ることを色々やったりもする。それでもさっぱり釣れぬことが多い。ところがある時から何故か分からぬが、突然釣れ出したりすることがある。運、不運だけではないだろうが?

厳しいのはプロの人達である。プロとは云え、人間であるからスランプがあって当然だが、それで飯を食う人たちにはあってはならぬことなのである。それだけに釣らねばならぬと云うプレッシャーは大変なものであると考えられる。

その点素人の釣では釣れてラッキー、釣れなくとも平気でボーズと云えるからお気楽なものだ。あくまでも趣味であって職業ではないのだから・・・・。しかしながら、このスランプの間色々と試したり、場所をこまめに変えてみたりしたことが、後で色々役立つことも多いのだからこれまた面白い。スランプがあって一段と釣師として成長する。だからスランプがあっても、なにも驚いたり、嘆いたりする必要はないのである。充電の期間だと思って、色々と試してみたりすることが次のステップに上がる絶好の機会だと思えば良い。自分などはいまだに毎年のようにスランプが来る。それはまだまだ未熟者だからである証拠(釣下手)である。しかし裏を返せば成長過程にあるのだと自負し、自らを慰めている昨今でもある。